なぜ、日本のモータースポーツは盛り上がらないのか

― 子どもの「車離れ」ではなく、大人が「その先」を作れなかった

日本は、自動車産業の歴史において決して後発の国ではありません。

トヨタ、日産、ホンダ、マツダ、スバル、スズキ……。

世界でクルマを売り、世界のモータースポーツにも数多くの日本メーカーが挑戦してきました。

それなのに、なぜ日本のモータースポーツは、アメリカやヨーロッパほど大きな文化として根付いていないのでしょうか。

時代の流れと割り切ればよいかもしれませんが、昔はレーサーといえば国民的スターだったのに、今のトップドライバーを知っている一般の方は、一昔前よりかなり少ないのではなでしょうか?

よく言われるのが、「子どもの車離れ」という言葉です。

でも、本当にそうなのでしょうか。私は、少し違うと思っています。

「メディアのせい」にしてはいけない

そして、ここで「メディアがモータースポーツを取り上げなくなったからだ」という説明だけで終わらせるのも、少し違うと思います。

確かに、テレビや新聞などでモータースポーツが取り上げられる機会は、昔より減りました。

しかし、メディアは基本的に「面白いもの」「話題になるもの」「人が見たいもの」を取り上げる存在です。

つまり、メディアだけを原因にしてしまうと、本質を見失ってしまいます。

むしろ問うべきなのは、

「なぜ、メディアが取り上げたくなるようなモータースポーツを、私たちは作れなくなったのか?」

ということではないでしょうか。

子どもたちがクルマに興味を持たなくなったのではなく、クルマに興味を持った子どもたちが、その先に進める場所を、大人たちが十分に作ってこなかった。

私は、こちらのほうが大きな問題だと思っています。

子どもが車に興味を持たなくなったのではない

子どもたちが車に興味を持つきっかけは、今でもあります。

速い車、珍しい車、改造された車、レース、ドリフト、ゲーム……。

子どもは本来、「速い」「すごい」「自分でもやってみたい」というものに惹かれます。

問題は、その先です。

「自分もやってみたい」と思った子どもが、その先に何を見つけられるのか。

ここが、日本には弱いのではないでしょうか。ドライバーになりたい。では、その先は?

プロになる? しかし、ドライバーだけがモータースポーツをやる人ではありません。

車を作る人、セッティングする人、エンジンを作る人、ECUを作る人、タイヤを開発する人、チームを運営する人。

そして、車を作って、走らせて、仲間と競う。

そんな世界だって、もっとあっていい。つまり、「その先」が少ないのです。

日本は、なぜ海外の真似をしたがるのか

日本には、独自の自動車文化があります。

昔は、GC、FJ1600、富士フレッシュマン、N1、N2

ダートトライアルやジムカーナ、サーキットアタック

峠、ドリフト

そして、軽自動車。

特にドリフトは、日本で発展した遊び方が世界に広がった代表例です。

日本発の文化が、世界中でモータースポーツとして成立しています。

日本は、いつの間にか、

「海外で成功しているモータースポーツを日本でも」

という発想が強くなってしまったように感じます。

もちろん、フォーミュラやGTのような世界基準のカテゴリーは重要です。

しかし、それだけでいいのでしょうか。

アメリカにはアメリカの文化があり、ヨーロッパにはヨーロッパの文化がある。

だったら日本にも、日本独自の自動車文化があっていいはずです。

海外の人が「日本のモータースポーツ文化って面白そう」というような。

「車の差は不公平」という発想

日本のレースでは、よく

「車の性能差があると不公平だ」

という話になります。

その結果、ワンメイクレースが増えていく。

同じ車。同じエンジン。同じような条件。

もちろん、これは競技として非常に分かりやすいですが、一方でチューナー等の車を作る楽しさを奪ってしまった面もあります。

「俺の車をどう速くするか」「このエンジンをどう使うか」「この足回りならどうなるか」

「この古い車で最新の車にどこまで迫れるか」そういう部分にも、車遊びの面白さがあります。

車の違いを「不公平」と考えるのではなく、「違うから面白い」と考える文化が、もっとあってもいいのではないでしょうか。

学生フォーミュラには人が集まっている

興味深いのが、学生フォーミュラです。

大学生たちが、自分たちで車を設計し、製作し、走らせる。

そこには多くの学生が参加しています。

つまり、「若者が車に興味を持たない」という話だけでは説明できません。

むしろ、車を作ることに興味を持つ若者はいる。

では、その学生たちが卒業した後はどうなるのでしょう?

わかりません。

「全日本社会人フォーミュラ選手権」のようなものが、あってもよいのではないでしょうか。

学生の次に、社会人として車を作り続ける場所がある。会社員になっても、週末に仲間と車を作る。

エンジニアが自分の技術を持ち寄る。

町工場が部品を作る。ショップが車を仕上げる。そして、その車で競争する。

そんな世界があれば、学生フォーミュラから次の世代へ、自然につながっていきます。

ところが今は、その先がない。

ここが大きな問題なのだと思います。

「全日本」という名前にも意味がある

実は、今のスーパーFJや、フォーミュラ・ビートは、町工場が部品を作って供給したり、

コンストラクターとして参加したり、技術力勝負ができる、とても面白いカテゴリーです。

しかし、そこに「全日本」という称号があるかというと、そうではありません。

これは意外と大きいと思います。

人間は「日本一」という言葉に弱い。「日本一になろうぜ」と言われたら、やっぱり燃える。

単なる草レースではなく、「日本一の車を作る」という舞台があれば、ドライバーだけでなく、チームそのものが主役になります。

ドライバーだけをスターにするのではなく、車を作る人、チーム、ショップ、メーカー、ファン。みんなが参加できる世界です。モータースポーツは、本来そういうものだったのではないでしょうか。

かつてのダートラやジムカーナに学ぶわかりやすさ

ダートトライアルやジムカーナも、かつてはもっと熱かった。

メーカーのワークスが参戦し、プライベーターがそれに挑み、ショップが車を作る。

「この車が速い」「いや、こっちの車だ」「このショップの足がすごい」「このエンジンがいい」

そんな会話が成立していました。

つまり、そこには車を作る文化があった。

わかりやすいのは、クラス分けや格付け。

クラスは、「ナンバー付き車両」、「市販車改造クラス」、「改造無制限クラス」の主に3つであったこと。

また「全日本選手権」と「地方選手権」があり、年末に、全日本の上位と地方選手権の上位が集まるオールスターというイベントがありました。
地方の選手も、全日本シリーズには出れなくとも、そこで日本一の称号が手に入るということで、オールスター出場を目指して、地方選手権で頑張るというわかりやすい構造がありました。

それが、いつのまにかオールスターに、モンスター田島など、本当のスターのいる全日本選手が出れなくなる規則の変化があり、
クラス分けについても、「新型車のクラス」「ナンバー付の改造クラス」[2WD限定クラス」等ができ、ようは優勝者がたくさんいて、見ている方は、誰が速いのかよくわからないことになりました。

日本のモータースポーツの歴史を見ていると、JAFや各協会や主催者がやってきた「皆が勝てるように」「若手が育つように」「新車を売るために」という理由で、クラスやレースそのものを増やしたり、また「不公平をなくすため」「参戦のハードルを下げるため」という理由で改造を規制するという施策は、勝利の価値を下げ、見る側も、どの車が速いのか、誰が速いのかがわからなくなり、車を作る側、見る人の興味を失せさせ、全体的にはマイナスになっている気がします。

初心者が楽しめるクラスや、若手を育てるカテゴリーが必要ないと言っているわけではありません。
問題は、それらを増やしていく一方で、「結局、誰が一番速いのか」という本線まで分かりにくくしてしまったことです。

競技人気と産業の強さ

今のスーパーFJや、フォーミュラ・ビートレギュレーションの基礎を作ったJMIA(日本自動車レース工業会)は、
まさしく、日本独自の技術競争文化を作る思想で、日本独自の新たなフォーミュラの開発に力を入れているようです。

海外の真似でない、日本独自のレース産業が発展することに期待しています。

ロシアの自動車産業から考える

少し極端な例ですが、ロシアにも自動車を作る技術はありました。

しかし、もともと国営ということもあり、自動車産業を巨大な民間文化として発展させることには成功しませんでした。

軍事技術は非常に発達している。飛行機も作る。戦車も作る。しかし、それが一般の人々の「車遊び」や「自動車文化」にまで広がっていったかというと、そうではありません。

技術があるだけでは、自動車産業は文化にならない。

人が車で遊び、競い、憧れ、商売をし、次の世代に伝える。

そこまであって、初めて自動車文化になるのだと思います。

日本には、すでに世界に誇れるものがある

実は、日本にはその種があります。

ドリフト。

軽自動車。

そして、つくばサーキットのタイムアタック。

最近では、ドリフトやタイムアタックを目的に海外から日本へやってくる人もいます。

これは非常に面白い現象です。

日本人が海外のモータースポーツを真似するのではなく、

日本で生まれた「速さを追求する遊び」が海外から注目されている。

これは、日本の自動車文化が世界に輸出できる可能性を示しています。

さらに今、アメリカでは日本の旧車や軽自動車が注目されています。

日本では「古い」「小さい」と思われていたものが、海外では魅力的な文化として受け入れられている。

だったら、もっと自信を持っていい。

日本独自の「車遊び」を育てよう

私は、日本のモータースポーツを盛り上げるために、

「アメリカやヨーロッパをもっと真似しよう」

とは思いません。

むしろ逆です。

日本独自の車遊び文化を、もっと大切にすべきです。

日本はルールの中で技術力を争うのが好き、そしてチーム戦が強い傾向があると思います。ようはエンジニアやメカニック側が盛り上がるのです。

例えば、全日本ジムカーナのカテゴリーに、もっと自由度の高いクラスがあってもいい。

「全日本社会人フォーミュラ選手権」や

学生フォーミュラを卒業した人たちが、社会人になっても車を作り続けられる場所。

メーカーの技術者も参加できる。
町工場も参加できる。
ショップも参加できる。
個人も参加できる。

そして、車の性能差を完全になくすのではなく、「どうやって速くするか」そのものを競う。

海外のような、観客が集まる興行でなくても良いと思うんです。
サーキットやレースを実験場として、技術を見せ合う。
そして参加者が多く集まれば、観客はいなくてもそれはそれで産業になる。

観客=顧客ではない。
参加する企業そのものが顧客になる。

アメリカやヨーロッパのモータースポーツの盛り上がり方とは全く異なります。

最近は、自動運転やADAS技術につながるレギュレーションの工夫があってもよいかも。
ドライバー視点にカメラをつけた遠隔操作クラスとか。そんなカテゴリーがあっても面白いと思います。

大迫力のスピードや音?、ドライバー同士のバトル、それももちろん大切な要素ですが、
小さい町工場や個人が大手メーカーの技術でしのぐ、そこに感動する、そんなドラマを見れるのが、
日本のモータースポーツ文化のような気がしますね。

ドライバーだけではなく、「チーム」で喜べる文化を

モータースポーツを盛り上げるためには、ドライバーを育てるだけでは足りません。

車を作る人を育てる。

チームを育てる。

ショップを育てる。

部品メーカーを育てる。

そして、ファンが

「今年はあのチームがどんな車を作ってきたんだ?」

と楽しみにする。

そんな文化が必要です。

勝ったのはドライバーだけではない。

「俺たちの作った車が日本一になった」

「このエンジンで勝った」

「この足で勝った」

「この小さなショップが大メーカーに勝った」

そういう喜びがあれば、モータースポーツはもっと多くの人を巻き込めるはずです。

「モータースポーツを観客のための興行にする」だけじゃなく、「車を作る人間が憧れる場所にする」

K4GPが、そんな未来の一つになってもいい

例えばK4GP。

小さな軽自動車をベースに、チームが工夫して車を作り、長時間を走り切る。

そこには、メーカーのワークスだけでは生まれない面白さがあります。

古い車を現代の技術で蘇らせる。

新しい燃料を使ってみる。

ECUを自分たちで作る。

チームで車を仕上げる。

これは、日本人が昔から得意だった「車遊び」の延長線上にあるのではないでしょうか。

そして、いつかアメリカやヨーロッパから、「日本のK4GPに出てみたい」というチームがやって来ても面白い。

そんな未来があってもいいと思います。

ただ、K4GPも最近では、より多くの車やチームが参加できるようにクラスが増えたり、クラスごとに使用できる燃料が異なったり、参加者の多いクラスでは抽選が行われたりと、さまざまな工夫がされています。

参加する側にとっては間口が広がる一方で、見る側からすると、「結局、どの車が一番速いのか」が少し分かりにくくなっているようにも感じます。

これまで書いてきたように、参加しやすさや公平性を追求することは大切です。しかし、それによって「誰が一番速いのか」が分かりにくくなれば、勝利そのものの価値も薄れてしまいます。

K4GPには、日本独自の車遊びとして、もっと分かりやすく、もっと世界から注目される存在になってほしい。
だからこそ、そこは少し残念に感じています。

「子どもの車離れ」と言う前に

子どもたちに、

「車に興味を持て」言う必要はないと思います。

大人が、「こんなに面白いぞ」

という世界を作ればいい。

自分で車を作る。

仲間と競う。失敗する。改良する。速くなる。

そして、日本一を目指す。

そんな場所を作れば、興味を持つ子どもは必ず出てきます。

大切なのは、

子どもに車を好きになれと言うことではなく、子どもが憧れる大人の姿を見せること。

そして、その大人たちが次の世代に「その先」を用意することです。

日本には、まだまだできることがある。

自動車産業の歴史もある。

技術もある。車を作る人もいる。車で遊ぶ文化もある。

世界に誇れるものも、すでにたくさんある。

足りないのは、もしかすると、「日本のやり方でやっていいんだ」

という自信なのかもしれません。

海外の真似をするのではなく、日本から世界へ。

ドリフトがそうだったように。

筑波タイムアタックがそうなりつつあるように。

日本の「車遊び」が発展し、そして世界のモータースポーツ文化になる可能性は、まだ十分にあると思います。

日本のモータースポーツの発展は、日本の「車遊び」の延長上にあるものだと考えます。

そして次に来るのは、毎年130台を超えるエントリーがあるK4GPを始めとした、日本の軽耐久でしょう(笑)

みんなで、日本の「車遊び」を盛り上げて行きましょう。